宇宙デリシャス〜安倍みなみ〜

STORY

INTRO

宇宙デリシャス〜安倍みなみ〜

1992年12月19日 午前

宮城県仙台市で安倍みなみと名付けられた女児が

激✴︎誕した!

父はゴリゴリのズーズー弁を話し、子供の頃から「オラァ植木屋さんになる!」と中学生の頃から自分の育てた菊を品評会に出していた現役の造園屋。

母はフィリピンマニラの下町生まれ、下町育ち。祖母の勧めによりオーディションを受けて、シンガーとして歌っていたが、父の猛烈熱狂アプローチと「まずは祖父に気に入られる作戦!」が大成功し結婚。日本にきてからもう32年ぐらいのベテラン専業主婦。

両親共に声は大きく、自由なスピリット。

そんな両親の元に生まれた、私の幼少期は梅干しと納豆ご飯に目がなく、父が作る創作昔話を聞きながら眠り、母が歌っていた世界のDIVAの歌声に合わせて創作ダンスを踊り、絵を描き、本を読み、自作の歌を歌いながら過ごす毎日だった。

そんな幼少期から時は過ぎ、大人になった私は

いつの間にやらどっぷりと音楽の世界に身を置いている。片足を突っ込み始めた頃から数えると、あれ恐ろしや、15年、、、。

都心から離れたところで生まれ育ったものとしては、本当にこんな世界があるのかと今だに思ってしまうし、現在この仕事で自らが生活しているのにもかかわらず不思議な気持ちになってしまうのだ。

…… 

2024年3月 某日  東京 自宅

猛烈なだるさの中寝床に入る。

2023年の暮れ10月頃から、2024年の年明け2月に掛けて38度〜39度を超える熱が毎月のように出たので、また今月も発熱するのか、、、流石にしんどいなぁ、、、と思いながら、気絶。

…..

、、、、ぁあ。夢か。

具合が悪いから眠りが浅いんだろう。

夢の中で私はそう思った。

夢の中、私は立派な作りの音楽スタジオのレコーディングブースにいた。

すでにヘッドホンを装着している。

私の目の前にはお馴染みのコンデンサーマイクに大きめのポップガードが付いていて、譜面台には歌詞がプリントされているA4紙がセットしてあった。

夢の中でもレコーディングするようになるとはね。と胸の内で笑いながら私はブースの外にいるであろうエンジニア、もしくはプロデューサーに向かって話しかける。

「あーあー。聞こえますか?」

「「ええ。聞こえています。大丈夫そうなら、チェックがてら歌ってもらえますか?」」

「はい。では、お願いします。」

…..

夢の中のレコーディングはかなり順調に進んでいた。

終盤に差し掛かり歌詞に

「〜〜〜〜な個性」

と入っていたので、普通に標準語の発音で

指定されたメロディで歌った。

そこで初めてブースの外の方からストップが入る。

「「安倍さんすみません、今の個性のイントネーションが違うのでもう一度お願いします。」」

と言われた。

内心、え?そんなにイントネーション違う、、かな?と戸惑ったが、向こうが違うと言ったら違うのでやり直すしかない。

何度も何度も「個性」のイントネーションでNGをくらい、流石に何が正解なのか分からなくなってきた頃、ブースの向こうの人に問いかけてみる。

「すみません、ちょっと個性の発音やイントネーションがどう違うのか流石にわからなくなりました。どう言うのが正解なんでしょうか?」

「「そうですか。個性のイントネーションはですね、正しくはコッッ↗︎セェェエ⤴︎イッッッ!!!という発音になりますので、このように歌ってもらえますか?」」

、、、え?何十回もNGにされたあげく

正しい個性の発音は

コッッ↗︎セェェェェ⤴︎イッッッ!!! 

だと?….なーーーにを言ってるんだこの人は。

と疲労が溜まってきていた私は戸惑いはもちろんだったが、絶対に違う発音でまた何十回も歌い、体力と声を消耗する事を避けたかった為、

ブースの外に出て話がしたいと伝え、録音ブースから出た。

….ギィィ

重たい扉を開けた先に、背中を向けキャップをを被っている男性と思われる人がいた。

大きな宅の前に座り、こちらを見ることもしない、この人こそがわけのわからない発音を指示してきた張本人という訳だ。

私は言った。

「すみません、先ほど指示された個性の発音についてですが、、、私は日本に生まれ、30年程日本語を使い続けるネイティブスピーカーです。そんな私ですが一度も「「コッッ↗︎セェェエ⤴︎イッッッ!!!」」と日常的に発音している人に出会った事がありません。どう考えてもこの発音は間違いだと思います。私が発音している個性の発音の方が正しいと思います。「「コッッ↗︎セェェエ⤴︎イッッッ!!!」」はどう考えてもおかしいですよ。」

ここまで言えば、わかってくれるだろうかと期待しながら彼を見ると、背中を向けた彼は何も言わない。

……

しばらくの沈黙の後、

ジーンズにシャツ、サングラスにキャップと

よく見る出立ちの彼は背中を向けたまま言う。

「「….私はこの地球が宇宙のカケラだった時から見ているのです….」」

「、、、は?」

いきなり何を言うのかと思えば、、とんだ変人だ。と私は思った。

彼は続ける

「「この地球が生まれて、微生物が生まれ、海の生き物が生まれ、陸に生き物が上がり、恐竜の時代が始まりそれが終わり〜〜〜〜8※×%•€÷3€=+5;3〜〜」」

どんどん早口になるその人の背中から

私は目を逸せなかった。

「「…..そして人間が生まれたのです。私たちはずっと地球を見ているのです。あなたが話している日本語の誕生も見ていました。確かに今の時代の個性の発音はあなたの方が正しいでしょう。しかし私は記憶しています。コッッ↗︎セェェェェ⤴︎イッッッ!!!と発音していた人間が確かにいた事を。」」

背中を向けたままの彼は、

そう言いながらキャップを脱いだ。

青く、よく剃られたツルツルの坊主頭だ。

次に彼はゆっくりと体をこちらに向けた。

、、、ん?

頭皮の色と、顔の皮膚の色が同じ、、?

私が考える間も無くその人はサングラスを外した。

青いような灰色のような皮膚につるつる坊主頭。大きな黒目がちな、いや黒目しか無いその姿は

ぅぅう、、、う、、、、、

ううぅぅぅぅ宇宙人だ!👽

私が先ほどまでレコーディングしていた

相手は誰もが一度は見たことがあるような

テンプレート宇宙人だった。

もう人間に擬態する事をやめたのかいつの間にか服も消え、ガリガリすっぽんぽんの

テンプレート宇宙人になった彼はもう一度言った。

「「私は地球ができた時からあなたたちのことを見ているのです。、、、個性の発音、直してもらえますね?」」

私はガタガタと震える体を押さえながら

カチカチに引き攣った笑みを作り

「はい!もちろんです!」と元気よく答え

ブースに戻り、レコーディングを再開。

ものすごく元気に!宇宙人に言われた

ニュアンスのままに歌った。

「「コッッ↗︎セェェエ⤴︎イッッッ!!!」」

…….

…ジリジリジリジリ!

最大音量の目覚ましがなる。

日常から宇宙への壮大な夢から目覚めた朝。

私の目に映る世界は変わっていた。

強烈な疲労感に襲われていた。

しかもリアルな疲労感だ。もしかして私、本当に宇宙船でレコーディングしてたんじゃない?と思ってしまうほど、たくさん歌ったあとの筋肉痛に襲われていた。

私は視力が悪いので眼鏡が無いと何も視えない。メガネを探そうと思ったが

見えすぎたら視えなくなるよ。

視えすぎたら見えなくなるよ。

頭の中でそう聞こえた。

そうだね。と頭の中で答えた。

そして夢の中で「「コッッ↗︎セェェエ⤴︎イッッッ!!!」」と歌わせてまくったクライアントの

テンプレート宇宙人に向かって強く念じた。

ギャラくれぇぇぇぇぇぇ!!!!!!

…….

この地球を見ている宇宙人なのか

大いなる存在は本当にあるのかもしれない。

宇宙デリシャスのみんなとは

ここのセクションは自らの自己紹介ブログとして記事を書くことになっていたが、2025年の4月某日に私のこの実際に見た夢の話をして大盛り上がりし、私の中で強く繋がっているので自分の体験エピソードとして書き残すことにした。

この夢から派生するエピソードや

過去の出来事からの繋がりがとても奇跡的で

面白いので今後も小分けにして書いていこうと思う。たまに覗きに見てくれたら飛び跳ねて喜びます。

略歴

—-10代

音楽と映画にハマり、地元のレンタルDVD屋さんにあるDVDを全て見ることを目標に年間300本以上みていた。次の日には返さないといけないのに13本見なくちゃいけないノルマがあった日は、ノルマ達成のために朝から次の日の朝まで映画を見続け12本目で吐いた。悔しかった。

18歳で上京し、近所のレンタルビデオ屋さんに行き勝負を挑もうとしたが仙台と東京では品揃えのレベルが違うことに愕然とする。

同時に服飾の学校に行きながら、音楽活動を初めていた頃、レディガガと当時ガガの衣装プロデュースをしていたニコラのプロジェクトに合格する。グループでデビューできるかも!?と頑張っていたが、声が個性的で強すぎるから君はソロの方がいいと言われ外された。悔しすぎてベットで大暴れしたが、悔しさをバネに絶対ソロでデビューしてやる!と心に決めた。

—-20代

映画との闘いに勝てないかもしれないと諦め始めた。年間130本しか見れなくなり、100本を切ってしまった時に映画との戦いを止めることにした。悲しかった。

一方音楽では、様々な先輩アーティストのバックコーラスとして歌わせてもらう。大黒摩季さん、T-BOLANの森友さん、坪倉唯子さんと一緒に歌えた時は嬉しかった。

そして全員に「あんたバックにいるタマじゃない。派手すぎるから、フロントいきな。まだ後ろに来なくていいから😁」と押し出されるようにしてアーティスト活動を開始。

オリジナル曲で色んなイベントに出るようになる。レビューショー団体にも入った。

亜季緒がいた。色んな人に出会った。

「イクゼ、バンド天国!」と言う番組に拾ってもらった。勝ち抜きオーディション番組にソロアーティストで出演。趣旨が違うから絶対勝てないと思ったけど3週勝ち抜き、「イク天キング」になれた。

翌年、ソロアーティストとしてデビューした。

これまで可愛がってくれた、先輩たちに助けられて良いアルバムが作れたし、10代の時の悔しさを晴らせた。

—-30代

アマプラやネトフリなど映画のサブスクアプリが主流になりもう本当に勝ち目などないと絶望している。悔しい、、!!

・ボイトレをしていることを公表していなかったが公表することにした。

世界で活躍する素晴らしいアーティスト達が

ボイトレを受けたいと言ってくれて毎日に感謝している。自分が見つけたメソッドをいつか形にして残したいと思っている。

・ニューヨークとメキシコに行った。

人生のどんでん返しが起きている気がする。

・東南アジアのサファリパークのテーマソングをワオキツネザルのワオくんとして歌わせていただいている。

・サンフレッチェ広島のスタジアムソングも歌わせてもらっている。マスコットキャラクターの熊のフレッチェちゃんとしても歌わせていただいている。

最近はライオンキングをやっていたり、テーマパークの歌唱指導もやらせていただいたいる。ジャングルとかサファリとか動物の案件ばかりなので、サファリシンガーと名乗ろうかしら?と考えている。

ショーのクリエイト側もやり始めた。

皆さんに喜んでいただけていて嬉しい。

まだまだこれからも学ぶことばかりだけど

もっと人生を楽しみながら世界を飛び回りたい。

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